3年振りに6人で集まりました。奇しくも、また雨の降る日でした。3年前は大雨により熱海で土石流災害が起きた日だったので、それに比べれば、雨の降り方は弱く、優しささえ感じられるものでした。本当は7人で集まりたかったけれど、一人だけ欠けてしまった彼を偲び、残りの6人で集まりました。
3年前の訃報は突然で、誰もが半信半疑、気持ちの整理もつかないままに大雨の中で慌ただしくお別れをしました。
それから3年が経過し、今度は日程を調整して、私たちだけの三回忌を行いました。ご自宅に訪問させてもらい、彼の遺影と彼の奥さんを前に懐かしい昔話を小一時間しました。いろいろ苦労もあったでしょうが、奥さんも元気そうにふるまって下さり、中学生だった息子さんは高校生になり、少し頼もしくなったように見受けられました。大学生だった娘さんは、この春から社会人になって、その日、会えませんでしたが、元気に仕事に行っているとのことでした。彼がいなくなり、寂しい想いを感じつつも、それぞれがそれぞれの時間を懸命に生きてきました。そして彼が生きてきたという事実により、みんなが集まることができました。頑張って生きてきた姿をお互いが確認しあえるっていうのは幸せなことだと感じると同時にみんなを集合させてくれた彼に感謝もしました。
学生時代の仲間は、大企業に勤める人、研究職の人、校長先生、中小企業の社長…と、みんないろんなところでいろんな経験もしてきたし、大変なことを抱えて生きているかもしれないけど、会えば、全員すぐに出会った学生の頃のように、「相変わらず」のままの姿でいてくれます。それが、嬉しくて、有り難く感謝の気持ちが湧きます。
帰り際、ある一人が「明日からまた仕事か。嫌やなぁ…」と言っていた時、私はすぐに「マイナスな言葉吐いたらそのようになっちゃうよ」って言いました。それはある意味正論かもしれないけど、上から目線で何かビジネスライクな感じを出してしまいました。「そうだね。嫌だよね!でもそう考えていても仕方ないよね。彼も見ているかもしれないからその分、頑張ろう」ってまず相手の言葉を受け入れて寄り添う態度で接するのが大正解だったのかもと反省しました。その日のうちにその反省の内容をメールしたら、「そんなこと言ったっけ!?」と多分そう返してくれるんだろうなと私が想像していた通りのメールが届きました。昔から変わらない、さり気ないその優しさに目茶苦茶救われました。
一方、新横浜で降りなければならないのに居眠りしてしまい品川まで行ってしまった相変わらずの人もいました。そこまで学生の時と同じような姿を再現しなくてもいいじゃない?!って思いますが…まあ、良くも悪くも「相変わらず」の方がいいですね!
令和6年8月
監査担当者 山本 哲也
3ヶ月程前、父親が心臓の血管のカテーテル手術を受けるということで半休をとってその手術に立会ました。父は長年、人工透析治療を受けており、血管が石灰化しているところもあって、心臓へ血液が流れにくくなってしまっているとのことでした。その血管の石灰化したところを削るか、状況によっては血管の中に人工の管を入れる手術でそれなりにリスクを伴うものである旨の説明を担当の医師より手術の前に受けました。
手術は2時間程で終わり、再び担当の医師から行った手術の内容を画像を見ながら説明を受けました。足付け根あたりの血管から管を入れたのですが、「足の付け根から心臓付近まで細い血管の中をどうやって管を通して行ったのだろうか?」とか、結局、血管の劣化があったため血管の中に血管より細い管を設置したのですが、その方法は風船のようなもので一旦血管を膨らませて管を設置したそうなのですが「どうやって?」と私の想像力では追いつかない程の医療技術の高さを垣間見ることが出来ました。
その手術の間に昼ご飯を食べようと病院のすぐ近くにあるコンビニに弁当を買いに行きました。私は普段殆どコンビニを利用することがなく何年かぶりにコンビニで弁当を買いました。弁当に何やら番号が付されていて「これは何?」と思い店員さんに確認するとその番号の数字で電子レンジのメニュー番号で操作し弁当を温めるとちょうどよい温め具合になると説明されました。「凄い!今はそこまで気を遣うか!」と感心しました。「何を今更言ってんの!」と思う人がたくさんいるかもしれませんが私にとっては感動的な新しい発見でした。
病院は、私にとっては日常生活から隔離された特別な空気感があり、非日常です。一方そこで働くお医者さんや看護師の方、受付の方、清掃作業をされる方等々にとっては日常です。
コンビニエンスストアも日常と感じる人もいれば、私のように非日常と感じる人もいます。
日常と非日常は人それぞれだと思いますが、新しい発見は日常よりも非日常の中に多くあると思います。
日常生活にどっぷりつかると見えなくなってしまうものがあります。そうかと言って、非日常を求めるような変化を人は受け入れ難くなるとも言われています。(特に歳を取ると…)
新しいことを何かやろう!と意気込んでもなかなか行動が伴わない(私みたいな)人は、少しだけ奮起して、普段とは違う環境に一瞬でも身を置くだけで何か新しい発見があり何かのきっかけになるかもしれませんね。
私は半日だけ非日常に身を置いたことによって1回分のコラム原稿のノルマを果たすことができました!
令和6年7月
監査担当者 山本 哲也
私は、読んだ本で気に入ったフレーズや表現があったりするとちょこちょこ書き留めたりしています。
誰が書いた本からの引用なのかわからなくなってしまい、著作権に触れてしまうかもしれませんが、元気になって欲しい人たちへ、私の書き留めたメモを掲載します。
「無気力になっている人は、エネルギーを使わないから衰弱しているのである。活動するから元気になるのであって、エネルギーがないから元気になれないのではない。エネルギーを使わないから気がめいってくるのである。」
「まず"一歩"を踏み出すこと。机の上をキチンと整理するでもよい。一日に三回空を見上げるのでもよい。空を見上げて深呼吸すれば健康によい。今までより朝一時間早く起きるのでもよい。昨日できなかったことを悔やんでいるよりも、今日できることをやることである。……第二歩目は、第一歩を踏み出してから考えればよい。」
「人間は、自分の自由意志で、あれこれ選択することができるのではなくて、自分がそこへ持って生まれた状況のすべてを、肩に背負って生きて行かなくてはならない。少なくとも人生の中にはこういう部分がたくさんあります。」
「人間というのはたくさんの情熱で生きて行くことはできない。人間というのは自分の生まれた環境、自分の生まれた場所、そういうものを背中に背負って生きていかざるをえないのだ。」
「我々の人生のどんな嫌な出来事や思い出すらも、ひとつとして無駄なものなどありはしない。無駄だったと思えるのは我々の勝手な判断なのであって、もし神というものがあるならば、神はその無駄と見えるものに、実は我々の人生のために役に立つ何かを隠しているのであり、それは無駄どころか、貴重なものを秘めているような気がする。これを知ったために、私はかなり、うまく、生きたと思えるようになった。」
「マイナスにもプラスがあり、プラスにもマイナスがある。そしてマイナスにもプラスがあり、プラスにもマイナスがあることがわかったならば、どんなに素晴らしい主義主張も限界を超すとマイナスになり、どんなに素晴らしい善も限界を超すと悪になることを知ることだ。それは独善主義から自分を救うに役立つからだ。……人生という不思議な過程の中には、無意味なもの、無価値なものは何ひとつないのだ、という確信は私の心の中でますます強くなっている。だから挫折も失敗も病気も失恋もプラスにしようとすればプラスになっていくのだ。」
これを読んで、例え、気休め程度でも、ほんの少しだけでも、前を向く気持ちにあなたがなったのなら、とても嬉しく思います。
令和6年6月
監査担当者 山本 哲也
最近、金の価格が高騰しており、史上最高額を更新しました。そんな折、日本橋高島屋で展示してあった純金の茶碗(販売価格1040万)を展示会場から盗んで180万で売却した事件が発生しました。逮捕された犯人を近所の人は普段おとなしそうにみえて、まさかそんなことをするなんて…と有りがちなコメントをしていました。
まさかあのおとなしそうな人が…、いつも明るく挨拶をするあの人が…、というコメントは事件のあとに逮捕された人の人物像でよくきくパターンですね。
実際は、父親の証言によれば逮捕された本人は自己破産を考えなければいけない程の状況に追い込まれていたようですが…
゛おとなしそうにみえる゛は本当におとなしい人なのかもしれないし、内弁慶で身内に接する時と他人と接する時に態度を変えているかもしれません。表面的な行動だけでは、その人の心の奥底にある思いはなかなかわかりませんね。
ある日、車を運転していて対向車のタクシーが横断歩道の手前で停止しました。私が少し気付くのが遅れましたが、2,3人の小学生が脇道から走ってきて、横断歩道を渡ろうとしていたのでした。危うく交通違反をしてしまうところだったと少し肝を冷やしながら車を停止させました。
最後にわたりきった一人の小学生がタクシーに向かって「ありがとうございました」と大きな声で一礼し、すぐさま私の車に向かっても、同じように深く頭を下げて大きな声で「ありがとうございました」と言って、先に行った友達を元気に追いかけて行きました。
その小学生が両方の車にお辞儀して大きな声でお礼するという純粋な行動を目の当たりにして、いい歳をした私は気恥ずかしい思いになりしました。残念ながらその時の私の車を停止させるという行動は、小学生の交通安全を願いという動機からきた行動ではありませんでした。私が横断歩道で止まったのは、「横断歩道で人が立っていれば停車しなければならない」という交通規則があるからでした。「交通違反で捕まりたくない」という動機が先行した結果の行動ということです。
゛車を停止させる゛という同じ行動をとっても、「交通違反で捕まりたくない」という動機と「小学生の交通安全を願い」という動機では全然違いますね。
まだまだ人間が出来てないと小学生の行動に教えられました。
でも、ふと今考えるとその小学生が深々とお辞儀をしてお礼を言った行動の動機は純粋な感謝の念の表現だったのだろうか?世間体を気にする大人びた小学生…
本当にどこまでも人間が出来ていない私がいます!(笑い)
令和6年5月
監査担当者 山本 哲也
昨年末に右手親指の付け根付近が痛くなりました。ペンを持って字を書いたり、箸を持って食べたりすることができないぐらいの痛さで、数日経っても全く改善しなかったので、近くの整形外科で診てもらいました。結果「母指CM関節症」との診断でした。特別な治療はなく極力右手を使わず痛み止めを飲んで様子をみて下さい。との指示でした。右手の親指が使えない状態は結構大変です。
ペンで字がかけない、箸が持てないだけでなく、シャツのボタンが閉められない。ペットボトルが開けられない。雑巾が絞れない。車のシートベルトがつけられない、運転中ウインカーも右手ではなく左手で…。目薬がさせない。靴紐が結べない。パソコンや電卓が打ちづらい。草取りもできない…痛みも辛いですが、行動・動きを制限されるストレスも辛いですね。
とここまで下書きしていたところで前月の原稿は止まってしまい期日迄に提出できず、10年以上休みなく続けて書いてきたこのコーナーで初めて「休稿」とさせて頂きました。「毎月楽しみにしていますよ!」と仰って頂いていた若干名の方々(少なくとも1名の方には直接、問合せ頂きました!)申し訳ございませんでした。
2月の初め頃に腰に少し違和感があり、右足付け根のお尻の少し上の腰辺りからふくらはぎにかけて痺れというか少しの痛みを感じていましたが、繁忙期なので通院等のケアをすることなく日々過ごしました。幸い(?)指の痛みで処方された痛み止めも一ヶ月分あったので、それを服用しながら、少し無理をしてしまいました。そして2月中旬のある朝、激痛で全く動けなくなリました。それに加え吐き気も伴うこともありました。最初の2日間は完全な寝たきりで痛みにひたすら耐え、3日目に這うようではありましたが歩けるようになったので整形外科に。椎間板ヘルニアでした。椎間板ヘルニアは15年ぐらい前にもなっていたのですが、歳をとったせいか、前回よりも比べものにならないぐらい痛みを強く感じました。大袈裟にいうと尿管結石の痛みがずっと続いているようでした。(病気自慢?)たまたま、その時に病院の待合室でお客様に会ったのですが、挨拶することもそこそこに痛みに耐えていました。後日、そのお客様から単に腰が痛いだけでなく重大な病気も併発しているのかもと思ったぐらい酷い状態でそれ以上声をかけることも出来なかったと言われました。
社会人になって30年以上経ちますが、最長の9連休を最も休んではいけない時期に取ってしまうことに至ってしまいました。
改めて健康な状態、普通である「当たり前」であることが如何に有り難いことなのかを強く感じさせられました。そして私が動けなくなって、出来なくなったことを助けてくれる家族や職場の同僚、予定を急遽キャンセルしても受け入れて下さったお客様、全ての周りの方々に感謝しています。
「本当に困った時は必ず誰かが助けてくれる!」とよく言われますがまさにその通りでした。
令和6年4月
監査担当者 山本 哲也
【緊張感1】ある日曜日、朝の散歩でたまには気分転換に毎日歩くコースとは違うコースを歩こうと、いつもとは全く逆の方向に歩き出しました。いつもは限られた時間なので早足で同じコースを同じ時間にひたすら歩きます。でも、その日は時間もあるのでゆっくりといつもとは違う周りの景色を眺めながら歩いていました。住宅の反対側が畑になっているところ歩いていると、その畑の道端に「監視カメラ監視中」の看板が目に入りました。「監視カメラがどこにあるんだろう?」と見上げて周りを探しましたがカメラは見つかりませんでした。その代わりに大変珍しいものが視界に入ってきました。電柱の上にフクロウかミミズクのような鳥がとまっているではないですか!「こんなところに!」と急いて携帯のカメラで撮影しました。しばらくすると、犬の散歩をしていた見知らぬ初老の女性が通りがかりました。珍しい鳥を見て感動していた私は、女性に2、3歩歩みよって、挨拶もなしに「あれフクロウかなにかの鳥ですよね!」と電柱の上を指差しながら声をかけました。女性は私が声を発するまで数秒間、近づいてくる私に、その表情から緊張感が伝わりかなり警戒していたことがわかりました。冷静に考えれば当たり前ですね。住宅の方を不審な男が携帯のカメラで写真を撮っている。しかも急に近づいて理由のわからない話をしてくる。普通に警戒するには十分なシチュエーションですよね。それでも、状況を理解してくれた女性は少し安堵の表情を浮かべ、私が指差す電柱の上を一緒に見上げてくれて「こんなところに珍しいね。」と言ってくれました。
【緊張感2】お客さんからの帰り道、相手方が一旦停止の交差点でパトカー私の後ろに着きました。少しの緊張感を抱きつつ、次の信号で停車し、発車の時に後ろのパトカーがいきなり赤色灯を点灯させました。ゴールドドライバーを目指している私は、何も違反行為をしていないにもかかわらず、その一瞬胸が締め付けられるようなただならぬ緊張感が走りました。しかし、サイレンはならず、ただのパトロールモードで、私は左折し、パトカーは直進していきました。
自分が何気なくとっている行動や発する言葉が、相手にはこちらの想像以上に(想像さえしない)緊張感、警戒感を与えることがあることを改めて認識した出来事でした。どんな時も相手への思いをもった言動をしたいものですね。
ちなみに先述したフクロウをその日の午後再び確認に行ったらまだそこにいて、よく見てみると本物のように精巧に作られた監視カメラでした!(大笑い)散歩していたオバサンごめんなさい!
令和6年2月
監査担当者 山本 哲也
2ヶ月程前に夜寝ていた時、ふと目が覚めて、気づくと左足ふくらはぎがカチカチになっていていました。生まれて初めて足がつりました。とても痛かったのですが、その痛さもさることながら、カチカチになっているふくらはぎを自分自身ではどうすることもできないことに怖さを感じました。これまで「足がつる」ことが一度もなかったので、自分自身で手足の動きを制御できなくなるという経験が初めてで、睡眠中で意識が朦朧としていたことも重なって、悪夢じゃないかと錯覚しました。(本当に夢だったのかも…(笑))
ふくらはぎを手で抑え、痛さと怖さに耐えてじっとしていたら、そのまま眠ってしまいました。朝起きてすぐに左足のふくらはぎを揉んでみました。夜中にカチカチだったのが嘘のように柔らかくなっていて、力を入れればふくらはぎは硬くなり、力を抜けば元に戻り自分自身で制御できることに安心しました。
昨年の10月に事務所の開業記念のイベントでお寺で座禅を体験しました。私にとっては初めての座禅でした。座禅といっても30分程度の軽いものでしたが…それでもテレビやネットで見たものから自分で勝手に作り上げた”座禅"を実際に体験することによってイメージだけの世界では得られなかった感覚を得て良い経験をさせてもらいました。
初めて経験すること、体験することは、自分の心に怖さや緊張感、ワクワクするような楽しさ、喜びなど何かしら平常心ではいられないものをもたらしますね。
これまでの自分に何かしらのブラスをもたらすと思います。
「足がつる」みたいに自身の意思にかかわらず、突然初めての経験をすることもありますが、自らが意識して初めてのことを新たに始めることは、かなり労力を要しますよね?
毎年年始のこの時期は、その労力を少しだけ軽くしてくれるいいタイミングだと思います。その結果が、実を結ぶか否かはやってみないとわかりません。
思い立ったが吉日、何かを始めたり、トライする計画を立ててみませんか?!最初から諦めて何も動かないよりも、三日坊主の方がまだいいですよね。
三日坊主の先に新しい自分の世界が広がっているのかもしれませんから…
令和6年1月
監査担当者 山本 哲也
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
この平家物語の書き出しにある「諸行無常」とはこの世のすべての現象は絶えず変化していくものだという意味ですね。
一昨日彼はこの世を去り、新たな世界へ旅立ちました。諸行無常とはいえあまりにも突然の訃報でした。
彼と出会ったのは彼がまだ小学生だった30年以上前。私と彼は、親子ほど年は離れていませんが、兄弟のようというには年が離れすぎという中途半端な年齢差でした。
時に私は、上から目線で彼に助言や注意をしました。彼は一度も私に反論することなく、いつもそれらの言葉を聞き入れてくれました。
少し頼りないと感じるところもありましたが、芯の強いところも有りました。
名前が示す通り朗らかで温厚な愛嬌のある憎めない人柄でした。
今、出棺の時を迎えました。
天を仰げば青空。
やり場のない感情をここに書かせて頂きました。
残された私たちは、今も“無常“を生き続けています。何を思いどう生きるのか?
今、彼が「もう少し悩みながら、頑張って生きて下さい!」と屈託のない笑顔で語っているような気がしました。初めて先輩風を吹かせながら…
合掌
令和5年12月
監査担当者 山本 哲也
携帯電話ショップ での出来事です。受付を済ませ順番待ちで空いていた椅子に腰掛けました。周りを見渡すと私の座った席から少し離れた席で、一人のおばあさんに店員さんが何か一生懸命説明をしていました。少し距離があったので詳細な会話は聞き取れませんでした。というか聞く気がなかったので聞こえていませんでした。
でも、少し興味があったので、今度は視線を向けず、聞き耳だけを立てて会話に集中しました。(要するに盗み聞きですね!(笑))
そのおばあさんは何かのアプリのパスワードを忘れてしまったか、そのアプリ自体のトラブルでなのか原因は不明ですが、そのアプリにログイン出来なくて困っているようでした。それを何とかしてもらおうと携帯電話ショップを訪れたのでした。対応していた店員は男性で、おそらく店長か、それなりの責任者に見受けられる雰囲気の人でした。口調は丁寧な方で、私に聞こえる範囲での説明もしっかりしていると思える話し方でした。
その店員さんは、トラブルの状況を「携帯電話会社は例えるならば、家を建てる大工さんで、そのアプリは家の中にあるテレビとか冷蔵庫のようなもので、その故障に関しては大工さんが対応出来ないのと同じなんですよ。ですから、そのアプリのトラブルはそちらへお問い合わせして頂かないと…」といった感じで説明していました。
なるほど上手い例えだなと思いましたが、ただ、おばあさんには上手く伝わらないようでした。おばあさんにとって、そんな説明はどうでもよく、求めるのは、そのアプリにログインする方法を教えて欲しい、何とか使えるようにして欲しい、その一点だけでした。ですから、その説明を聞いても、不満顔と困惑顔を浮かべ携帯を見つめ、ぶつぶついいながら途方に暮れていました。
店員さんの説明は確かにその通りで、正論を適格に述べて、説明責任を果たしました。でも、それだけでいいのか?と誰しも疑問を抱くと思います。
相手のおばあさんことを慮(おもんばか)り、もっと融通を利かせて、画面を一緒に見ながら再度ログインを試みたり、問合せ先の電話番号を調べてあげたり、もう一歩踏み出した、相手に寄り添った対応をしてくれたらいいのになぁと思いますよね。もちろん業務上の制限や責任問題等いろいろあるとは思いますが…
「そんなに偉そうに言うなら、あなたが手助けしてあげたら良かったんじゃないの?!」という声が聞こえてきそうです。自分でもそう思いましたから…
でも、携帯電話の知識は、おばあさんと同レベルしかないと思われる私は、ただの一人の傍観者に徹しました。変に期待を持たせて残念な結果に終わり、さらにおばあさんの気持ちを落ち込ませないように…
もちろん、融通を利かせて、相手を慮っての行動です!(笑)
令和5年11月
監査担当者 山本 哲也
前回「大雨の影響で運行を見合わせている新幹線の中で、時間を無駄にせず、この原稿を書き上げました。」と書きました。
しかし、その原稿を書き上げても新幹線は、なかなか動かず、結局5時間半も新幹線の中で缶詰になってしまいました。
原稿を書き上げてから3時間以上缶詰になるとは想定していなかった為、“時間を無駄にせず“という表現が果たして、適切だったのかは疑問符がついてしまいました。しかし、書き上げた原稿を再び手直しすることは、それこそ時間の無駄なので、そのまま校正に提出しました。5時間半も新幹線の中に缶詰になることは“時間の無駄“のようにも思われますが、私自身はその日、貴重な体験をさせてもらったと感じています。
少し長くなってしまいますが、その長かった一日を振り返ってみます。
その日はお盆明け直後でした。その前日は台風の影響で新幹線が運休していたとのニュースがあったので、その日の運行状況を朝一番で確認したところ、通常ダイヤで運行しているようでした。それでも、念の為にいつもより一本早い新幹線に乗りました。何事もなく定刻に発車し順調に浜松を過ぎました。「このままいくといつもより早く着くので、その旨お客さんに一報入れようかな。」と思っていた矢先、目的駅の静岡駅の一つ前の掛川駅で臨時停車。三島辺りの大雨の影響で安全確認をしていますとのことでした。「あともう15分で着くのに…でも暫くすれば動き出すでしょう。ここは雨なんて全く降っていないんだから…こんなこともあろうかと一本早い新幹線に乗って大正解!さすが私!」 と自惚れていました。(笑)
しかし、30分経っても全く動く気配なし。この時点でお客さんのところに着く時間がいつもより遅くなってしまうことが確定し、先程の「早く着いても良いですか?」という状況から一転し、遅れてしまうことのお詫びの連絡を入れました。
そこから、ガラガラの新幹線の中でパソコンを開き、原稿を書いたり、その日の業務でその状況でも出来ることを行いました。それでも3時間もすると、それもある程度終り、今度はいつまで「このまま缶詰状況が続くのだろう?」と不安がどんどん大きくなり始めました。水筒のお茶以外の食料はもってないし、車内販売もない…今から降車して在来線やバス、レンタカーで移動する?とも考えましたが、いずれの手段も、もっと早い段階で決断すれば良かったけれど…と結局そのまま待ち続ける選択をしました。
暫くすると車内アナウンスで、駅のホームから離れた側の線路に停車していたもう一本の新幹線(のぞみ号)から、私が乗っているホーム側に停車しているこちらの新幹線に避難はしごを渡して、ホームへ往き来できるようにすると放送されました。その避難はしごを渡ってぞろぞろと移動する人々の様子を見ていましたが、まるでニュース報道の一場面を見ているようで貴重な光景を目の当たりにしたと少し得した気分になりました。(次葉に続く)
それから一時間くらい経って、隣に停車していたのぞみ号が出発して行きました。さらに遅れること30分、私が乗っていたこだま号もようやく動き出しました。しかし、静岡駅の手前で再び車内アナウンスが流れました。三島付近の雨の影響がまだあり、静岡駅でまた運転を見合せるとのことでした。掛川駅停車していた数時間は雨なんて全く降ってなく、この静岡駅でも見た感じ、大した雨は降っていないのに…“線状降水帯”は限られた地域だけにかなり長い時間留まることを実感しました。
もう一つ、ふと思いました。この駅で再び停車ということは、いつも乗る時間の新幹線ならば、まだ缶詰状態が続いていたということになり、やはり一本前の新幹線に乗ったことは意味があったと「さすが私!」とこの期に及んで自己肯定しました。(笑)
前代未聞の大遅刻で大変な迷惑をお掛けしたお客さんのところで業務を何とか終えました。帰り際「今は新幹線、動いてるみたいですよ!良かったですね。気をつけてお帰り下さい。」と有難い言葉を頂き、私を心配して頂いていることが嬉しく、そして感謝の念を強く感じました。
さて、駅に着くと新幹線は動いているものの、さすがにダイヤは大幅に乱れていました。駅員さんに聞いても、私が乗りたいこだま号はいつ到着するのか予測不能とのこと。その時、かなり遅れていたひかり号の到着がアナウンスされました。そのひかり号は浜松には停車するので、これに乗って浜松から東海道線で帰ることにしました。しかし、ホームは長蛇の列で大混雑。そのひかり号に乗り込めるか微妙な位置で乗車待ちの列に並びました。ホームに入ってきたひかり号の車内は満席状態。降車する人もいましたが、乗り込む人の方が断然多く、私はギリギリ乗降口付近に一番最後に乗り込みました。数十年前に毎日経験していた山手線の通勤ラッシュを思い出し、苦痛でした。でも20分ぐらいの我慢だからと耐えました。しかし、全然発車しない…新大阪駅に新幹線がいっぱいとなり、随時状況を見ながら運行とのこと。待っている間に体調が悪くなり降車する人も何人か私の前を通過していきました。私も…と揺らぐ心に耐えながら、携帯式の扇風機を回しながら耐えに耐え、一時間後ようやく動き出し、ホットし救われました。
浜松駅で在来線に乗り換え。乗り込んだ車両の向かい合う座席には、大きな荷物を抱えた3人組の男子大学生。豊橋駅に着いたらダッシュして乗り換えるみたいな会話が聞こえてきました。おそらく青春18切符を使って旅をしていたのでしょう。豊橋に着くと3人組はダッシュして、階段をかけ上がって行きました。その走り行く後ろ姿をみて、青春してるなぁ、若いっていいなぁと自分が歳をとってしまったことを改めて実感しました。
タイパが求められるこの時代。タイパが悪くなってしまいましたが、その日はいくつかの貴重な体験をしたのではないかと思っています。先月は時間を無駄にしまいと書きながら、今回はダラダラと過去にない長文で申し訳ありませんでした。人間万事塞翁が馬。何が正解かわかりませんね。だから生きる意味があるのかもしれません。
ちなみに“タイパ”なる言葉を最近知ったので早速使ってみました!使い方、合ってるかな?まだ、その意味をご存じない方は調べてみて下さいね。(^_^)
令和5年10月
監査担当者 山本 哲也
少し前になりますが、大手自動車販売会社の不祥事が大きなニュースになりました。急成長したその会社には、厳しい ノルマがあり、そのノルマ達成のために社会常識を逸脱してしまった社内の“常識“が蔓延していたように見られます。会社を成長させたい、存続させたい、と経営者なら誰でも願うこととは思いますが、「何の為に?」という目的が著しく欠如しているように私は強く感じました。
とはいっても、そこで働いている殆んどの人は善良な社員で、その力が集結してその経営規模を構築してきたのだとも思います。
私が社会人になった最初は営業職でした。そこでは朝礼で「プロ十則」なるものを大きな声で毎朝唱和していました。
【プロ十則】
1.プロとは結果で勝負する人である。仕事にとって結果とは、どれだけの売上と利益を上げたかに尽きる。2.すぐれた結果は、的確且つ意欲的にコントロールされたプロセスからのみ生まれる。プロにとってそれは修練である。3.常に明確な目標を持とう。目標は与えられ、チェックされるものでなく、自分が立てて勝負するものである。4.燃えに燃え、たぎりたつ熱気と情熱を持とう。そこに心理的な磁場が作られ、大きな成果が生まれる。5.思い信じ込める人間となろう。それが力を生む。不信の先行は不毛の結果だけが残る。6.可能性とリスクに向かって挑戦しよう。経験への依存は盲目を意味する。7.どうすればできるかを必死になって考えよう。泣き言と言い訳は人生の汚辱である。8.自分に厳しくあろう。厳しさなくて執念なく、執念なくして、行動なく、行動なくして成果はない。9.時間を失うまい。1日、1時間、1分を、いかに活かすかが、人生の別れ道となる。10.学び続けよう。自己啓発のポイントはどがめつく吸収し、謙虚に学ぶ姿勢である。
三十数年前のバブル経済末期、栄養ドリンクのCMで「24時間働けますか!」と叫ばれて健康管理も仕事のうち「月曜日は絶対に休むなよ!」と言われていた時代で今とは“常識“の考え方も少し変化しているのかもしれません。
そんな時代に社会人生活をスタートさせた私は、良いか悪いか判りませんが、少なからずこの【プロ十則】の影響を受けています。大雨の影響で運行を見合わせている新幹線の中で“時間を失うまい”と原稿を書き上げました。
今回でvol.120。10年間一度も休むことなくこのコラムを書き続けることが出来たことに感謝します。ありがとうございました。
令和5年9月
監査担当者 山本 哲也